大人の小麦アレルギーと診断されるまでNo.3

大人の小麦アレルギーと診断されるまでNo.3

小麦アレルギー検査を受ける!

今生、病院に縁がある人生だけれども、自身が入院するとはおもいも寄らず・・。(医療従事者は皆そうだろうが)
不安絶頂のなかで、某大学病院で入院手続きを取る。

「大学病院」とかいう、超ビッグで迷路な建物で働くことは生涯ないだろう。広すぎる人間関係は私の範疇でないし、ものすごい方向音痴だし、働く以前に、一歩も動けないであろう・・(笑)
大学病院に勤務する人いわく、組織が分離しすぎてて却って人間関係の広さを感じないという。
とにかく、病院という場所には慣れているが、そんな理由でちょっぴり新鮮になれたことが、入院に対する多少の気晴らしにはなった。

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もう記憶が曖昧だから、細部は違ってるかもしれんけど(!)書いて行こう。

主治医は、ハキハキした物言いの女医さん。その傍に院生らしきドクターが常に2、3人いた(余談だが主治医からみんなみんな美人だった)。彼らは定期的にベッドに巡視に来た。
私の場合、看護師より医者の見回りが多いという稀有な環境にあった。
判ってはいたが、どれほど危険を伴う未来が待ち受けている検査かを再認識した。

病院にいても、緊張は全く解けなかった。逃げたくなった?いや、もう逃亡の時期は終わり「死ぬかもしれん」や「もし蘇生が必要な場面があったとすれば、助かればいいなぁ」と、半ば他人事だった。
本当に、”まな板の鯉”の気分てあるんやね(笑)

とにかく、殆どドクターといた。ドクター対ナースの割合で言えば9対1くらいだ。
向こうも私が看護師だと認識していたので、医療系のよしみがあったか本音トークでしゃべってきた。同じ理由でか医者の雑談も遠慮なく話していた。
海外では皮膚科の立ち位置が日本と比べて高いこと、院生の中にハーバード出身がいたが物腰の柔らかい人で話しやすくて、本当に頭が良い人は気取らない、の典型を見た気がした。
三人が主に担当だったが、不安が和らいだのはその人たちとの会話を含む、雰囲気のおかげだ。

小麦アレルギーの他にも、当時はエビの数値(IGE)もクラス3と出ていた。小麦とエビと、二種類の負荷試験を無事に終え生きて帰ることが、入院生活解放のノルマなのだった。
そしてエビは今はクラス0だ。なんでゼロになったのか?先生に聞いてみたけど不明だ。

アレルギーの原因検査<海老編>

一日目。エビの負荷試験からだ。
エビを20匹(!!!)だったかを自前で持ち込みだった。
私はお寿司屋の友人に頼んだものだから、めちゃめちゃ高価そうな、普通サイズより大きいエビが20匹届いた。
普段なら垂涎ものの豪華なエビだ。しかしここは病院。腕の片方に持続点滴、胸には心電図、酸素飽和度測定器を挟んだ指で箸を持ち、目の前で医者が私の喰いっぷりを覗き込む。
ものすごい食べにくいシチュエーションだ。

まずは、動かず静かに食べる「安静時の負荷試験」をやり、それでアレルギー反応がなければ「運動負荷試験」に移るという二段階方式だ。

高級エビの連続喰い。その途中で止められ、俗にいうバイタルサイン測定が入る。
20匹のエビの完食後はしばらく安静を保つ。その間に自覚症状が出ないか身体を見守る。加えて医者側の客観的な観察を得たのち、無症状であるなら引き続き運動負荷検査に移行する。
自分は自覚症状はなかったし実際何も起きなかったので、運動負荷検査に進んだ。

どんな運動をさせられるんや?体力ないのに・・と思ってたら、をを!階段昇降を持ってきた。何十年ぶりやろ(笑)
血圧計を腕に、心電図モニター、指に酸素飽和度測定器を着けたまま、階段を上下する。上下する、上下する・・。
いつまでやらせるねん!とツッコミ入れたくなるくらい、容赦なく長かった(笑)
ただ、ドクターたちは「さすが看護師さんですね、体力ありますね!結構(運動)負荷かけてるのに脈が乱れないです」と感嘆していた。

幸いにも安静時も運動負荷時も、エビアレルギーは起きなかった。
嗚呼、良かった。
・・・・・死ななくて(笑)

入院までの数週間、アレルギー物質は一切口にしないでと言われる。小麦と大豆で作られる醤油もだ。
「小麦は、醤油を作る過程で小麦のタンパク質が完全に分解され、完成した醤油には残存していない。」(食物アレルギーの栄養指導の手引き2011より)というが念には念を、ということか。
なので入院中は、小麦とエビ関係をいっさい抜いたものが出た。
さらりと読んだら、ここはきっと「当然でしょう」となる。が、これが大変だった。
調味料に醤油がないと、何を出していいのか判らなかった栄養士が多分・・いたわけだ。肉じゃがは「水で煮た肉じゃが」が出た。普通に食べれば味がないので、気休めに傍に塩が付いていた。豆腐(冷奴)も白い物体と化し塩が添えてある。
自分の病院で栄養士の友人から聞く、コストやコスト(笑)や献立の大変さも知っていたので、がんばって食べた。
当時私が検査入院した頃は、同疾患で年に1〜2人の入院だったそうだ。医療現場でも場慣れしていなかった可能性もある。
今では市場もグルテンフリーが認識されてきたし、うちの田舎でさえ「グルテンフリーコーナー」がある!いい時代になった(笑)

病室といえば、消灯後に隣のベッドでおばさんの間食が始まった。歳の割に硬いせんべい食べてる。すごい!糖尿病食だから、カロリー控えめ夕飯では我慢できなかったんだろう。
まあどっちみち21時などに寝れないよね。よし、私も気晴らしに一階のセブン−イレブンに行って何か買おう、と患者としての夜を過ごし、一日目が終わった。

アレルギーの原因検査<小麦編>

二日目は、いよいよ小麦の検査だ。
本命だ。「本」当に「命」がけだ。
絶対アレルギー症状が出る、と解っていながら自らチャレンジするなど、昔の時代劇の悪役のセリフじゃないが「お前は、飛んで火にいる夏の虫だ!はっはっは!!」だ。

昨日と同じように、片腕に点滴、もう片方に血圧計、胸に心電図、指に酸素飽和度測定器をつけての検査だ。
小麦アレルギーの検査食は素うどんが出た。そう、「素」うどん。重要だからもう一回言います。
茹でただけのうどん

タレも塩も水も、なーんもないものがお椀に入ってる。
検査食の麺というものが存在するのかな?と思うほどの、巷で見ない麺だった。しかも麵が切れていなくて、「大蛇みたいだ・・」と思った。
これが、最近で最後に食した小麦食。いや、誤食してるからこれが最後じゃないや(笑)

エビと同じく、マメにバイタルサインを取りながら安静の状態で食した。
二匹の大蛇。しかもドキドキしながらの食事。「これ、キツイですね〜(笑)」とぼやいて食べた記憶がある。

この状態でアレルギー症状が出たら「運動誘発性ではない」小麦アレルギーと確定されるのだった。
どうせ小麦アレルギーと診断されるなら、運動負荷で出た方がまだマシかと願いつつ「もしこれでアレルギーが出なかったとしても、運動負荷もするんですよね?」と尋ねたら、「そうだよ」と返ってきた。
そりゃそーですよねーー!(予想通りでもがっかり…)

非情にも、運動誘発性の小麦アレルギーは、あっさりと否定される流れがきた。
初めに出てきた症状は、手の違和感だ。何となく・・だけど手の指というか、手掌というかがむず痒い?気がした。
「これアレルギー症状だろうか?」「気のせいかなあ?」
これが一番目の症状だった。自分でも見当がつかなかった。

次には、確か目のかすみが来た。多分外見は充血していたのではないか。
そうこうしているうち身体が火照って来て、あっという間に気道が狭くなってくる。
「やばい・・・」
朦朧とした意識で死を意識した。この時のナースの対応は医療事故もので、あわや死にかけましたが、同業者であるし、テレビで病院名も出ていますので敢えて透明で書いています。
頻繁に巡視していた主治医がナースより早く異変に気付き、すぐさまに点滴ルートからワンショットで強力ミノファーゲンを流し込む。
この時すでに顔がぷくぷくに膨れ上がり視界がぼやけ、近くもほとんど見えない状態だったので、逆に緊張感が和らいでいた。
でも、自分の皮膚や周りは、色々と熱かった。

この薬で治らなかったら、このまま意識がなくなり気管内挿管されちゃうんだろうなぁ。
よくなるといいね・・。ぼんやりとした頭で、経験則から鑑みた。

気管内挿管されるに至らずに済みそう、と判断がつくとともに意識、とういうか自分が蘇ってくる。

これで運動負荷もしたら、本当に死んじゃうなーと思っていたが、ドクターは「運動負荷試験は危険なので、これで終わりです」と告げた。

ですよねー。

〜大人の小麦アレルギーと診断されるまでNo.4に続く〜

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