大人の小麦アレルギーと診断されるまでNo.4

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エピペン適応

小麦の食物負荷試験のための入院中に“メインディッシュ”の前菜として、ブリックテストも実施した。

プリックテストとは、即時型アレルギーの検査。直接皮膚の中にアレルゲンを針で注入し、15分後に判定する検査だ。
アナフィラキシーショックによる致死量は重量に比例しない。だから、ちょっとのアレルゲン注入で人生が終わることも十分あり得るので入院が必要だった。

プリックテストでも期待を裏切らず(?)エビは陰性で、小麦が陽性だった。

大人の小麦アレルギーは運動誘発性のものが多い』と言われている。自分も「そうである期待」を持ち続けた。
しかし判明したのは、運動如何に関わらず、喰ったら生死を彷徨うレベルの「普通の」小麦アレルギーだった。
ショックがないといえば嘘になる。
しかし原因不明でいつぶっ倒れるか判らない日々を繰り返す一生を送るよりかは良いだろう。
生きて退院できそうな安堵感も、それに追加された。

考えてみよう。
逆に、運動誘発性と診断されたとしよう。妙〜に細かい自分のことだ。きっと疑問が尽きなかった。
食後どれくらい静かにしていればいいのか、1時間、いや2時間、それ以上か。
聞くと「個人差がある」といわれるのだろう。一度は「お試し」しないと解らないと言われるかも知れないね。
「安静のレベル」も気になる。トイレ程度なら動いていいのか、絶対安静なのか。体位交換が出来ないレベルだったら辛い・・。
などなど・・・考えたら、「とにかく小麦アレルギーなんだよ!!あんた!」と白黒ハッキリ診断されたことは、実は私にとっては良かったのかもしれない。

・・・とまぁいろいろ合理化してみるけどさ〜、選べるなら運動誘発性だよなあ(笑)

話は戻り「一切食べるな」ということだから仕方ない。
診断を受けて暫くは、起こり得るだろう具体的な将来が想像できず、感情的な実感が湧かなかった。
だが数日後に身にしみて、号泣した(笑)

全ての検査が終了し退院当日の朝、主治医がベッドにやってきた。
「看護師さんだから知ってる内容だけど、書類を渡すルールだから」と、パンフレットを手渡される。
アレルギーへの対処法を書いたものだった。
「これからは小麦を間違えて食べたらアナフィラキシーショックになる危険性が高いから、その時に行う自己注射のことを書いてある。エピペンって聞いたことある?」
「いいえ」
当時はまだ認知度が低くて、医療従事者であっても小児科のナース以外はほぼ聞いたことがない名前だったのではないか。

「こういうの」
エピペンを手渡される。
「細かいことはここに載ってあるけど、常に携帯してね」
注射を常に携帯するようになるのか…。インスリンみたいだ。
「中身はボスミンと言ったら分かるよね」
「え!」
一般家庭で胃薬が常備薬であるように(ウチにはないけど…)、医療界の救急常備薬。心臓止まっちゃいそうな患者に使う薬だ。
余談だか、鼻出血の止血にも効く(笑)
まさかそんなブツを自分が常備するようになるとはなぁ〜。
人生何が起こるかわからん。

デモ機本物と二本を手渡され、プラス「エピペン」と刻印したケース。それが筆箱並みに大きい。
「これデカイてすね?!」
つい漏らしてしまう。
こんなの、四六時中携帯せにゃならんのですか。小さいカバンが好きだから、買い直しですね。゚(゚´ω`゚)゚。

アナフィラキシーは再発の危険があるので、医療的には24時間の経過観察だ。
だからだろうか予定では、もう一泊だった。しかしまぁ諸事情で・・「退院させてください」と、その許可を半ば強引にもらった。
看護師さんだから非常事態が起こっても、早期対策など自分でどうにかするでしょう、と経験則を認めてくれたのだった。
嗚呼良かったぁ〜とこの職業で嬉しいと思えたことなど殆どないが、こういう「業務以外」での利点は時々ある。(笑)


大人の小麦アレルギーと「共存する」生き方。

あとはアレか、数日後に実感が湧いて号泣してしまった話か。

我が家の料理人は、私が小麦アレルギーになって何より「粉もん」を食せなくなったことに心を痛めていると想像したようだ(まぁその通りなのだけど)。しかしこの時はまだ未体験で実感がなく、感情的には、先述したように平坦だった。
そんな小麦アレルギー初心者を励ますため、小麦粉ではないもんじゃ焼きを作り、サプライズで驚かせようとした。しかし代替品に何を使用すればイイのか?私とは違う意味で、当時は見当もつかなかった料理人がいた。
結果、本人に聞かざるを得なくなったらしい。
「先生は材料について何か教えてくれた?」
実は、具体的な説明は何もなかった。

この時、相手の優しさを知ったと同時に、本当に、一口も食べられない未来を実感した瞬間だった。
気づいたら堰を切ったように泣いている自分がいた。目が開けられないくらい涙が出る、淋しい感情が怒涛のように溢れる。もうどうしよう…と自分でどっかで呆れつつ、嗚咽が止まらなかった。
人間の本質にある暖かさと、食品に三行半を叩きつけられた空虚さがごちゃ混ぜになってしまい、もう収拾がつかなくなっていた。
しかし、泣き止んだ時には吹っ切れていた。
人って不思議(笑)

24時間泣いたら小麦が食べられるようになる!って言うのなら続けられるかもしれん・・けれど、そういうんじゃないしな。
よく「底まで沈んだら、あとは浮かんでくる」と言うけれど、この時そういう心境だったのだろうか?

それ以降、沈んだ経験は精神的にも肉体的(血圧的)にも、場数をこなし・・・はや約10年になる。
ヤ○ザキランチパックの品数が、私が知る頃よりもすっごい増えていてびっくり(笑)
袋ラーメンも種類が沢山増えたけど、昔ながらのものは老舗のように残ってるんよね。食べられないのに、それに安心するのはなぜなんだ?

ちなみに現在は化学調味料や添加物含有を食べると、(潰瘍性大腸炎の)下痢や下血につながるので食べられない。
現在は結構グルテンフリーも増えたから残念・・という気持ちも、なくはない。
でも健康的でもある(笑)

ただ正直、何でもかんでも食せる日が戻って来ようとも、以前のようにイケイケ気分で食せないだろう自分がいる。
すっかり純ナチュラル化したから、素材を生かした料理がおいしい。

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